メディアはスマホも含め、欠乏感を煽ってくる。大事な時間も奪ってく。そう思った。
スマホやメディアから離れた生活をした方が幸せになりそうな気がした。
色々な根拠があるが割愛する(笑)
有る事無い事
答えが出ない事を考えて
勝手に想像して、勝手に妄想して
相手の気持ちとか何を考えてるかとか
相手が俺の事どう考えてるかとか
勝手に考えて
こうに違いないと決めつけ
嫌な気持ちになる。
良い気持ちにもなる
考えすぎは良くない。
有る事無い事考えて
最悪の可能性を考えて、それが事実だとして落ち込む。実際はどうか分からないのに、勝手に鮮明にイメージして、それが現実だと思って、嫌な気持ちになる。
反対に良い気持ちになることもある。
頻度は後者が圧倒的に少ないけど、自信がある人、生まれて運が良かった人は後者が多いんだろうけど、、、
現実としてそれが実際に起こってるのか(相手がそう思ってるのか)実際は、分からないけれど、想像を膨らませて最悪の出来事を鮮明にイメージして
実際の現実で起こってるのか定かではないが、、勝手に想像して嫌な気持ちになってる。
梓がこういう風に思ってないかな。とか、
言いふらして関係が悪化したとか
定かでない事、答えが出ない事、コントロールできない事を延々と負の方向に考えてる。
向き合わないから、考えないから、疑うから
苦しくなってく。自分の勝手な思い込みで
決めつけて、そして考えない。他の可能性も、
ずっと理想のロマンスを掲げていたがついにそのロマンスが崩れた。中学の頃のあの同級生が成人式に来なかったこと。
自分の中の理想の人生が崩れた。
初めて女の子と二人で車ドライブしながら話をした。
恋愛の相談を装い話をした。確かに恋愛対象として見れるくらいの学生時代のクラスメイトを呼び出して話をした。
友達として認定される事のハンデの大きさの実感
今まで女子と殆どしゃべる事さえなく、ここまで来た。
必要性がないと感じていたから。
中学生の片思いをしていた子と結ばれる。とそう信じていたから。
嫌な出来事から逃げてはけないのかもしれない。
嫌な出来事や感情が起きてる→同じ対応をすれば、これから先の人生も同じ所で起こり得る。→そこから問題の本質的な部分解決しなけれゃまたいつか同じ出来事で同じ嫌な感情が湧く。小さな嫌な感情でも解決していく必要があるのかもしれない。その出来事の頻度と自分の問題に対する見方で影響度は変わってくるけど、できるだけ解決した方が良い。積極的に向きった方がその後の人生で同じ様な事で嫌な感情を味合わずに済む。
儚いからこそ美しい。
ずっとある物事は何一つないから。
ある日突然、全て奪われる様な。
そんな事、どんな事でももあり得る世界で、それが自然だから。
時間も経験も景色も感情も人も、何もかも、その時にしか味わえない。
次がある保証はないから。